APDA 公益財団法人アジア人口・開発協会APDA 公益財団法人アジア人口・開発協会

インタビューINTERVIEW

JPFPもAPDAも、設立の精神を大切にしながら、新たな世界情勢や課題に対して提案を行い、行動、実行していくための根拠を提供していくことが重要

元内閣総理大臣
APDA理事長・JPFP名誉会長
福田 康夫

福田康夫 元内閣総理大臣は、第5代JPFP会長(2007~2012年)、APDA理事長(2007年~現在)、人口と開発に関するアジア議員フォーラム(AFPPD)の第4代議長(2005~2012年)を務め、日本・アジアのみならず、世界の人口と開発に関する国会議員活動を先導してきました。

今回、人口・開発分野で日本が果たしてきた役割と、国会議員活動の創設理念について、お話を伺いました。

―最初に、なぜ日本で人口分野の国会議員活動が始まったのか、お聞かせ下さい。

福田理事長 それぞれの国の豊かさは、人口と経済力に大きく関係します。戦後、日本は順調に発展してきましたが、それには人口増加を上回る経済成長があったからです。ところが二十世紀中のアジアの国ぐにでは、人口の急増が著しく、経済成長がそれに追いつかず、貧困が拡大していました。

1973年に岸信介元首相を団長とする日本の国会議員団が東南アジアの国ぐにを訪問しましたが、そこで議員団が目にしたのは、貧困と人口の急増でした。そうした状況を改善するために、教育、保健衛生、女性の地位向上などの社会開発を通じて、経済成長を促し、バランスのとれた発展が必要と考え、早速支援の活動を始めました。

そうした日本の国会議員たちの手によって、1974年、国際人口問題議員懇談会(JPFP)が、世界初の人口・開発問題に関する超党派議連として発足しました。問題解決には国際的な協力を通じて対策を講じる必要があるとの認識があったからです。そして、日本の国会議員は、人口問題に対して同様の考えを持ち、当時国連の幹部であったフィリピンのラファエル・M・サラス氏(元官房長官)と協力しUNFPA(国連人口基金)の設立に繋げました。

―「人口」と「開発」を一緒に考えてきたのはなぜでしょうか?

福田理事長 当時の日本の政治家は、平和で豊かに暮らせる社会の構築こそが開発の目指すべき方向であり、人口問題は、まさしくこのような開発(経済・社会)の視点から取り組むべきであると考えていました。

そのように考えた背景として、首相・大統領経験者のOBを集めた会議であるインターアクション・カウンシル(通称OBサミット)を、1983年に福田赳夫が中心となって創設しました。OBサミットの目的は、軍縮と世界平和の実現、安定的な経済発展でしたが、並行して、人口・開発問題を最優先課題の1つとしていたのです。

このような世界の大きな流れの中で、アジア人口・開発協会(APDA)が1982年に設立され、JPFPの事務局としての任務を担うようになりました。以来JPFPとAPDAは、一体となって世界の人口・開発に関わる問題に取り組んでいます。

―具体的には、どのような成果があったのでしょうか?

福田理事長 日本が主導する国際議員活動では、人口と開発は切り離せないことを一貫して示してきました。1984年、メキシコシティで「国際人口開発議員会議」がJPFPとAPDAの主導で開催され、人口と開発の問題を一体として取り上げました。

1994年、カイロで、国連主催の「国際人口開発会議(ICPD)」が開催されましたが、会議の直前に日本のリーダーシップで「国際人口開発議員会議」を開催しました。その際、JPFPとAPDAが作成した「議員会議」の宣言文が「ICPD行動計画」に反映されるという、画期的な成果を挙げました。

このようにJPFPとAPDAは常に先駆的な方針を打ち出して、この分野の国際世論と活動をリードしてきました。

―現在、持続可能な開発目標(SDGs)が国際的な指針となっていますが、これにも日本の働きかけがあったと聞いています。

福田理事長 「持続可能な開発」の概念が国際的に周知されるきっかけとなったのは、1984年に設立された、国連「環境と開発に関する世界委員会」です。この委員会が1987年にまとめた報告書『Our Common Future』で、持続可能な開発の概念が提示されました。この委員会は元々、福田赳夫をはじめとする日本の政治家が、日本政府を通じて国連に働きかけ、日本の拠出により設置されたものです。

―福田赳夫元総理は「持続可能な開発」の父と言えますね。

福田理事長 この「環境と開発に関する世界委員会」は、グロ・ハーレム・ブルントラント 元ノルウェー首相が委員長を務めたことから、「ブルントラント委員会」として知られています。ブルントラント元首相は、OBサミットのメンバーで「人口と開発」の考えがこのようにOBサミットで長い間、議論されてきました。これも福田赳夫のイニシアチブの成果です。

また、SDGsには、「誰一人取り残さない社会の実現」という「人間の安全保障」の概念が盛り込まれていますが、冷戦後形成されたこの概念を発展させたのが日本です。当時の小渕恵三首相が1998年に提唱し、緒方貞子さん(元国連難民高等弁務官)や武見敬三さん(本会理事)がフォローしてくれました。2001年に 「人間の安全保障委員会」が設立され、2012年には国連総会で人間の安全保障に関する決議が採択されています。

「人間の安全保障」はSDGsの中核です。こうした日本の画期的な貢献は、国際的な取り組みの重要な道標となっています。この中で、JPFPとAPDAの活躍は極めて大事な役割を果たしてきたものと自負しています。

―人口問題が変化する中、国会議員活動はどのような役割を求められていますか?

福田理事長 かつて懸念されていたような「人口爆発」は免れるかもしれませんが、今なお人口増加が続く国もあれば、他方で日本をはじめとする人口減少や高齢化に直面する国があり、異なる様相を示しています。さらには、国全体は豊かになっても、国内に大きな格差が生じました。そうした問題もあわせて考えていかなければなりません。こうした状況に対処する上で、国会議員の責務は重くなりました。

JPFPとAPDAの働きかけにより、世界全ての地域に人口と開発に関する議員フォーラムが設立され、日本を中心とした国境を越えたネットワーク作りが進みました。このネットワークを通じて、開発援助等の取り組みによる成果や、各国の経験、優良事例、教訓などが効果的に共有され、国際協力が促進されたのです。このユニークな国際ネットワークはJPFPとAPDAが一体となって協力して作り上げたものです。これらの活動にはUNFPAも協力をし、国際的ネットワークを強化しました。

―日本の経験から、諸外国が学べる点は何でしょうか?

福田理事長 日本の反省点は、東京への過度の集中、少子化と人口減少です。併せて、女性の社会参画にきちんと対応してこなかったことです。教育や労働の選択は男女平等化がかなり進みましたが、出産だけは女性の役割です。女性が子どもを持ち、社会が協力をして子育てをしやすい環境づくりを、先ずは政治主導で推進していかなければなりません。

先述のOBサミット創設から約40年が経ちましたが、現在は新型コロナウイルスの感染拡大による「コロナショック」の経済への影響が広がっています。軍事面では、核軍縮は停滞していますが、ロボット兵器や、サイバー攻撃など、核に代わる安全保障上の新たな脅威が台頭しています。

さらに国連は、温暖化が想定を上回る速度で進んでいると警告しています。今、抜本的な対策をとらなければ、北極や永久凍土が融解し、温暖化がいっそう加速し、自然生態系、資源、食料への悪影響、自然災害の頻発という危機的な状況が危惧されています。これは待ったなしです。

JPFPもAPDAも、設立の精神を大切にしながら、こうした新たな世界情勢や課題に対して提案を行い、行動、実行していくための根拠を提供していくことが重要であると考えています。

― 本日は誠にありがとうございました。

取材日:2021年1月 ※肩書は当時

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